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山口地方裁判所岩国支部 平成元年(ワ)70号 判決

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

西岡昭三

被告

岩国市

右代表者市長

貴舩悦光

右訴訟代理人弁護士

森重知之

主文

被告は原告に対し金一九四〇万円及びこれに対する昭和五八年九月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は原告に対し三六九〇万九三七九円及びこれに対する昭和五八年九月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一本件は、原告が岩国市立麻里布小学校の水泳の授業中に逆飛び込みをして負傷したことにつき、担当教師の過失及びプールの瑕疵を理由として国家賠償法一条(あるいは民法四一六条、七一五条)、二条に基づき損害賠償(事故の日からの遅延損害金を含む)を求めた事案である。

二当事者間に争いのない事実

1  原告は、昭和五八年九月五日当時、岩国市立麻里布小学校六年七組に就学していたものであり、被告は麻里布小学校を設置管理するものである。

2  昭和五八年九月五日麻里布小学校では六年五、六、七組の合同の水泳の授業が同校のプールで行われ、担任教師の正田正昭、吉岡計四郎らが指導に当った。右授業では逆飛び込みの練習が行なわれ、原告が飛び込んだ際、プールの底で頭を打って受傷し、同日から同年一〇月二九日まで村岡整形外科医院に入院した。

3  尚、〈書証番号略〉、証人村岡洋によると、原告は第二頸椎脱臼、第二、第三、第四頸椎椎体骨折の傷害を受け、右の入院の後、昭和六三年八月三一日まで通院し(実日数一五日)、右同日、症状固定と診断され、頸椎に軽度の可動制限があり、第二、第三、第四頸椎が癒合椎となっていることが認められる。

三争点

1  逆飛び込みの指導を担当していた正田、吉岡教諭に過失があるか。

2  麻里布小学校のプールに安全性を欠いた瑕疵があるか。

3  原告の損害額(後遺障害の程度)。

第三当裁判所の判断

一証拠(〈書証番号略〉、証人正田正昭、同吉岡計四郎、原告本人)に争いのない事実を合わせると、次のとおり認められる。

1  文部省の指導書及びこれに準拠した教師用指導書では、小学校五、六年生の水泳授業において、クロール、平泳ぎで長く泳げると共に低い台からの(初歩的な)逆飛び込みができるようにすることが目標とされている。麻里布小学校では、これに従い、五年、六年の体育(水泳)の授業において、泳法指導と共に逆飛び込みの指導を行なっており、例年、六月一〇日ころから九月一〇日ころまでの間に水泳の授業を一一回(一回四五分)実施し、その内四回くらい泳法の合い間に入れて逆飛び込みを行なっていた。

2  文部省の指導書では、逆飛び込みとは、両腕を頭の先に伸ばし耳を挟むようにして揃え、頭から先に水の中に入り、指先は水中に手が入ると同時に反らす飛び込みとされている。山口県で使用されている小学校五年生用の教科書には、その要領として、腕で耳を挟む、頭を上げない、指先から水に入る、頭を起こし指先を上に向けると記載され、六年生の教師用指導書には、飛び込んだら両手を反らしてすぐ浮くようにする、指先が下を向いていると水底に突込んで危険であると記載されている。

3  麻里布小学校では、教科書、指導書に従って、最初の授業で教室での事前指導をした後、プールサイドで再び指導、注意をしたうえ、担当の教諭が実際に飛び込んで見せた。そして、授業の度に特に危険な行為として、走って飛び込む、転回して飛び込む、髙く飛び上がったり飛び上がって腹をへこませる飛び込みをしないように注意しており、また、逆飛び込みは競泳のための飛び込みであるから、髙く、深く飛ぶのは良くないとしてプールサイドから五メートルの白線を目標に飛び込むように指導していた。

4  昭和五八年度の六年生の場合、一、二、三、四組と五、六、七組に分けて水泳の授業を行なっており、七組に属していた原告は五、六、七組の合同授業で正田正昭、吉岡計四郎、吉村某が担当教諭であった。

5  九月五日の五、六、七組の合同授業は、泳法、逆飛び込み、泳法、逆飛び込みの順で、技能によりAグループ、Bグループに分けて行なわれた。飛び込みではAグループ(児童の約三分の一。四〇人くらい)を吉岡教諭が担当し、西側の飛び込み台から飛び込ませ、吉岡教諭が七メートル先くらいの水中に立って、それを見ており、二回くらい飛んで上手に出来た者を東側に行かせて自主的に練習させる(適宜その方に注意を向ける)という方法がとられた。

原告は、吉岡教諭の指示により東側に行って飛び込み台から飛び込んでいる内(二度目の飛び込みのときとみられる)、深く水中に入り額の上あたりをプールの底に打ちつけた。この時の原告の飛び込みを見ていた教諭はいない(したがって、原告がどのような飛び込み方をしたのか、原告は普通の飛び方であったというが、明らかでない。)。プールサイドで他のグループの指導をしていた正田教諭が児童の知らせで気づいた時には、原告はプールから上って東側のプールサイドに伏せており、西側でAグループの他の児童を指導していた吉岡教諭は正田教諭に言われて初めて気づいた。

6  尚、原告は、それまでに飛び込みをして額をプールの底で擦ったことが二、三回あったが、水泳帽を着けていたので傷は負わなかった。(本件事故の時を含め、どのような飛び込み方をしたらプールの底にあたったのか、原告自身に特に思い当ることはないという。)

7  文部省の「水泳プールの建設と管理の手びき」(昭和四一年初版、昭和四四年再版。以下、「手びき」と略称する。)では、小学校用プールで最浅0.8メートル、最深1.1メートルとされているところ、麻里布小学校のプールは、満水時において最浅0.9メートル(飛び込み台付近)、最深(中央部)1.1メートルであり、原告が飛び込んで頭部を打ったとみられる辺りで約一メートルであり、本件の当時は、ほぼ満水であった。ちなみに、右「手びき」では、中学校用プールで最浅0.8メートル、最深1.4メートルとされている。

尚、原告の身長は、昭和五八年六月一〇日測定で159.3センチメートルであった(昭和五九年五月二八日の測定で168.6センチメートルであり、その間に平均して伸びたと仮定すれば、昭和五八年九月五日には161.6センチメートルくらいであったと推定される。)。

二ところで、逆飛び込みは文部省の指導要領により小学校五、六年生の体育(水泳)授業に取り入れられているが、水泳は他の体育実技に比して事故が発生しやすく、生命身体に対する危険性をも包含していると考えられる(水泳の中でも泳法に比し逆飛び込みはその危険性が髙いとみられる)から、特に逆飛び込みを授業において指導する際には、担当の教師は児童の安全について十分に配慮し、事故の発生を未然に防止すべき義務を負っているものと解される。

麻里布小学校のプールの深さは前記のとおりで、文部省の「手びき」に準拠している(最浅部はそれより一〇センチメートル深い。)が、昭和四一年ころに比し児童の体格の向上が著しいこと(これは公知の事実といえる。)に徴すると右「手びき」に準拠したことをもって安全性を備えている根拠とはし難いが、右「手びき」では中学校用プールの最浅も小学校用プールと同じ0.8メートルとされており、本件プールの最浅が0.9メートルであることを考慮すると、直ちに本件プールが小学校六年生の逆飛び込みをするプールとして安全性を欠いたものとはいえない。しかしながら、このプールが満水であっても、逆飛び込みの方法によっては、頭部あるいは手をプールの底で打つ危険性があり(ことさら危険な飛び込み方法、例えば、麻里布小学校で注意していた走り飛び込み、回転飛び込み等でなくても、角度が少し深くなるとか、指先の反らし具合、その時期によって起こり得る。)、小学校六年生で逆飛び込みに習熟している児童は多くなく(前記の事実から優に推認される。)、加えて、六年生は未だ十分な注意力、判断力を備えているとはいえず、特に担当教師の監視のない場合には軽率な、注意を守らない行動に出ることも否定できない。

そうすると、逆飛び込みの授業においては、児童の中で実技が上手な者であっても、担当教師の指導監督の及ぶ範囲で実技練習させることが必要である。そして、前認定の本件事故時のように、一部の児童をプール東側で自主的に練習させるのであれば、より髙度の安全対策、安全の確保が要請されると解されるのであって、実技に習熟した者のみを選び、かつ危険性を十分に自覚させた場合に限るとか、教師の指導監督が不十分にならないような特別の配慮をするとかの対策が必要であるというべきである。

これを本件についてみるに、麻里布小学校では、五年生と六年生で逆飛び込みを練習しており、本件事故のあった九月五日は水泳の授業としては最終段階に至っており、原告が六年五、六、七組の生徒の中で上手なAグループ(四〇人くらい)に属し、かつ、当日も上手に出来ると判断されて東側で自発的な練習を指示されるなど、児童の中では上手にできるとみられていたこと、授業においては、飛び込んだら指先を反らす、危険な飛び込みをしないようにと担当教師が注意していたことは前認定のとおりである。

しかしながら、原告が逆飛び込みに習熟していたとの証拠はない(かえって、原告本人は二回くらいプールの底で額を軽く擦ったことがあるといい、原告の供述に照らすと腹を打つのを避けるため入水角度か入水後の指先の反らし方の具合でやや深く入っていく傾向があったことが窺われる。)。また、本件事故時の五、六、七組の合同授業は、いわゆるAグループを吉岡教諭が、その他のグループを正田教諭らが担当し、吉岡教諭はAグループの児童を西側から飛び込ませ、上手にできた児童を東側に行かせて練習させ、同教諭はプールの中から西側を向き残りの児童が飛び込むのを見てその指導に終始し(東側には時折目を向ける程度であったとみられる。)、原告の事故にも全く気づいていなかった(児童の知らせで正田教諭が知り、その後に同教諭から知らされた。)というのであり、東側に行かせた後は殆ど指導監督のないまま児童が自由に飛び込むのに任せていたといわざるを得ない。結局、東側に行かせた児童に対する指導監督は極めて不十分な状態であったと認められ、このような状態になることを意識して特別な安全対策を講じた形跡はない。

(もっとも、原告が事故時に、具体的にどのような飛び込み方をしたのか明らかでないが、常々注意されていた走り飛び込み、回転飛び込みをしたとの証拠はなく、普通に飛び込み台から飛び込んだとみられ、入水状況か指先の反らし方の遅れ、不十分など何らかの原因で角度が深くなり、事故に至ったと推測される。)

そうすると、本件事故時の授業における指導監督には、逆飛び込みに習熟したといえない小学校六年生の原告を指導監督の極めて不十分な状態で自主的に練習させた点に安全に対する配慮に欠けた過失があったと認めるのが相当である。

したがって、被告は国家賠償法一条により原告の蒙った損害を賠償する義務がある。

三損害

1  入院雑費

前記のとおり、原告は事故の日から五五日間入院したところ、入院雑費として少なくとも一日一〇〇〇円を要したと推認されるから、合計五万五〇〇〇円となる。

2  付添看護料

弁論の全趣旨によると、原告の年令、病状に照らし、入院期間中、家族の付添看護が必要であったと認められ、その費用は一日三五〇〇円を下廻ることはないと推認されるから合計一九万二五〇〇円となる。

3  慰藉料

証拠(〈書証番号略〉、証人村岡洋、原告法定代理人甲野さだ子、原告本人)によると、原告は前記の傷害を負ったが、入院中、頭を固定して肩、脇に重しをつけて頸部を引張る等し身体を動かせない状態であり、退院後も、昭和五九年三月(小学校卒業)まで頭を前後屈させない装具をつけていたこと、原告は、当初、医師から激しい運動を禁止されていたが、やがてそれもとけ、中学校ではバレーボール部に入り、激しい練習について行けず、陸上部に移ったものの、名目だけで何もしなかったこと、髙校では再びバレーボール部に入り通常にプレーしたこと、昭和六三年八月三一日(髙校二年)症状固定となり、前記の後遺障害があること、頸部は左右屈、後屈が各四〇度(通常は各五〇度)であること、現在では頸部に多少痛みを感ずることもあるが、日常生活には殆ど支障はなく、大抵の仕事には就き得ると考えられること、原告の癒合椎は前屈位のまま第二、第三、第四頸椎がくっついているもので、他の頸椎にかかる負担が大きくなる可能性はあるが、通常の運動を制限する必要はなく、将来的には頸の可動域の悪化、しびれ等の神経症状の発生の可能性を否定し難いことが認められる。

これら傷害の内容、程度、入通院日数、後遺障害の内容、程度、その他の諸事情を斟酌すると、原告に対する慰藉料としては五八〇万円(傷害につき一五〇万円、後遺障害につき四三〇万円)をもって相当と認めるる

4  逸失利益

前記した頸椎の後屈、左右屈にそれぞれ軽度の可動制限があり、第二、第三、第四頸椎が癒合椎となっていること等の後遺障害の内容、程度に照らすと、原告は、服することのできる労務がある程度制限されるとみられ、労働能力を二五パーセント喪失したと認めるのが相当である。

ところで、原告は昭和四六年七月二〇日生の男子で症状固定時(昭和六三年八月三一日)一七才であり、平成二年三月髙校を卒業し、平成三年六月一一日現在で無職(浪人中)である(原告法定代理人、原告本人、弁論の全趣旨)から、稼働し得るのは二〇才からとみるのが相当であり、昭和六三年度賃金センサスの産業計、企業規模計、学歴計の男子労働者の全年令平均賃金四五五万一〇〇〇円を基準として、二〇才から六七才までの労働能力の一部喪失による逸失利益についてライプニッツ式により中間利息を控除して現価を求めると、一七六七万二三二九円となる。

4551000×0.25×(18.2559−2.7232)=17672329

5  過失相殺

前記のとおり、麻里布小学校では、逆飛び込みの授業において教師が危険な飛び込みの禁止はもとより、五メートル先の白線を目標にし、髙く、深く入らないないように飛び込み、飛び込んだら指先を反らすように指導していたのであり、通常の小学校六年生は、十分でないまでも相当の事理弁識能力を有していたものとみられ、かつ水泳の授業が最終段階に至っており、原告は五ないし七組の児童の中で上手に飛び込める方に属していたのであるから、原告は右指導、注意の趣旨を理解し、それを相当程度に実行できる力を有していたと推認される。(原告は、飛び込んだら身体を反らすように指導されたと供述し、一部に記憶違いが存するが、指導そのものの存在を認識していたことを示している。)

そうすると、本件事故時の具体的な飛び込み方は明らかでないが、何らかの原因で深く入水したもので(原告の角度を浅くすると腹を打つ、額を擦ったことがある等の供述に照らすと、原告にはやや深く入水する傾向が窺える。)、原告にも幾らかの落度があったと推認されるから、損害額の算定にあたってはこれを斟酌するのが相当であり、担当教諭の過失の内容、程度等を総合考慮すると右各損害の内、約七五パーセントにあたる一七八〇万円を原告の損害と認めるのが相当である。

6  弁護士費用

原告法定代理人甲野さだ子尋問の結果、弁論の全趣旨によると、原告は被告との話し合いが進まず損害金の取立てを弁護士に依頼したことが認められ、相応の費用を要したものと推認される。そして、本訴の内容、右損害額等を考慮すると、被告に負担させる弁護士費用としては一六〇万円をもって相当と認める。

7  結論

以上のとおり、被告は原告に対し損害金一九四〇万円及びこれに対する事故の日である昭和五八年九月五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

(裁判官谷岡武教)

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